このブログでは、豊かな人生を歩むためのヒントとなる考え方や情報を発信しています。
今回考えたいのは「資産形成」についてです。
新NISAが始まり、SNSやYoutubeなど無料でたくさんの情報にアクセスできる現代において、色々な「投資」の話や「資産運用」の広告を目にするようになりました。
日本人は金融リテラシーが低いと言われ、銀行にお金を預けていれば良いという時代が続いてきましたが、そこから「投資」というリスクを取って増やしていく考え方が徐々に広まってきました。
私もそういう流れの中で、『金持ち父さん貧乏父さん』に出会い、お金に関するアンテナが立つようになりました。
今回は、私の師匠である中村さんから教わったことを整理する意味も込めてここにまとめたいと思います。
資産形成とは何か
資産形成とは、資産を形成することですが、そもそも資産とはなんでしょうか。
資産=資+産=資を産むもの
資=次+貝=次(リラックスした、緊張していない、縛られない)+貝(お金)
つまり、資は自分で自由に使えるお金を意味します。
資産は、自分のお金を産むもの、と捉えることができます。
金持ち父さんでは「ポケットにお金を入れてくれるもの」と定義されます。
逆の言葉「負債」とは、債=人+責任ですから、マイナスの責任、返すべきもの、支払うべきもの、です。
金持ち父さんでは「ポケットからお金を取っていくもの」となっていますね。
資産形成とは、自分が使えるお金を産むものを形作ること、と言うことができます。
より広義の資産形成
現代の資本主義の世の中では、働いて人の役に立つことでお金を稼ぐシステムになっています。
この「人からのありがとうの量」がお金に結びつくのですが、これについてはまた別の機会に詳しく書きたいと思います。
働くと言うのは、自分の時間を投資している状態で、言い換えれば時間がお金に変わっているということであり、つまり、「お金=時間」、Time is Money と言われるのはこのためですね。
お金を産むものを作り出す、そして、時間を産むものを作り出すことも資産形成と言えることがわかっていただけるかと思います。
残された時間
私たちは普段、当たり前に明日が来ると思っています。
明日というのは、本当にあるのか。金持ち父さんの著者ロバート・キヨサキは、
「明日なんて見たことがない。常にあるのは今日だ。今日は勝者のための言葉で、明日は敗者のための言葉だ」
と言っています。これは奥が深い言葉で、先延ばしにすることの問題点を突く言葉ですが、明日明日と考えることは確かによくありがちで、私もよくそうしてしまいがちです。
お金や時間を考えるとき、私たちはこの世で生きて活動することができる時間、つまり命の時間が有限であることを忘れている(意識してはいない)状態だと思います。命に関わる重大な体験がなければ、日々なんとなく過ごしてしまうのも無理はありません。日々の仕事や問題に追われてそんなことも考える余裕すらないと思います。
しかし、冷静に考えてみると、死は平等に訪れ、いつかはその時が来る。
有限であるこの生きている時間は、まさに命そのものです。
「命」の授業
雑誌にこんな記事がありました。
「命の授業」
「命はどこにあると思う?」心臓?胸の中?頭の中?
命というのは君たちが使える時間の中にある。
その時間をどう使うか、使う目的がある以上、生きる価値がある。
大人になったら君たちの時間を、できるだけ周りの人のために使ってくださいね。
親しい人を亡くしても、亡くなった後の方がむしろ生きていた時よりもその人の姿が自分の中で鮮やかになり、その人が掛けてくれた言葉の意味が、死んだ後に心の中でより深まっていくということを経験された方もいると思います。
亡くなった方と魂で繋がっているような感覚、実際に一緒に生きているような感覚。
目に見えなくなった人の姿が後々まで、生きていた時以上に自分達に大きな力を与えてくれる。
その人が、残された時間をどのような表情で過ごし、どのような気持ちで亡くなるかは、残された人に大きな影響を与えます。その時間はたとえ短くても、その人の全生涯を凝縮した深さを持つもので、心の持ち方一つで命が尽きるまで使命を果たすことができるのです。
資産形成の深み
まとめると、資産形成とは
①お金を産むものを作り出すこと
②時間を産むものを作り出すこと
③命を産むものを作り出すこと
この3つを大切にしたいと考えています。
単純にお金お金ではなく、自分の人生を通じて考えていくべきことでもある、非常に深いテーマです。
まだ若輩者の筆者ですが、こういった記事は日々進化していくものと考え、基本に立ち返ったら追記・編集していくことでしょう。
単なるお金だけの目線で資産形成を考えるのではなく、時間そして命という目線で考えるきっかけになれば幸いです。
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